つれづれなるままに

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~風野又三郎~「九月六日」-1 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

   九月六日

 一昨日《おととい》からだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂《ほ》を出した草や青い木の葉にそそぎました。
 みんなは傘《かさ》をさしたり小さな簑《みの》からすきとおるつめたい雫《しずく》をぽたぽた落したりして学校に来ました。
 雨はたびたび霽《は》れて雲も白く光りましたけれども今日は誰《たれ》もあんまり教室の窓からあの丘の栗《くり》の木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体《きたい》だったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎《いなか》の学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
 おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉《せみ》などもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
 耕一の家は学校から川添《かわぞ》いに十五町ばかり溯《のぼ》った処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖《がけ》になった処の中ごろを通るのでずいぶん度々《たびたび》山の窪《くぼ》みや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水《わきみず》もあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄《あしだ》をぬいで傘と一緒《いっしょ》にもって歩いて行きました。
 まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁《にご》ってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛《くちぶえ》を吹《ふ》きながら少し早足に歩きました。
 ところが路《みち》の一とこに崖からからだをつき出すようにした楢《なら》や樺《かば》の木が路に被《かぶ》さったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄《にわ》かに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩《かた》からせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
 耕一はその梢《こずえ》をちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
 ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。