つれづれなるままに

つれづれなるままに お気に入りなどを

~風野又三郎~「九月十日」 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

   九月十日

「ドッドド、ドドウド、ドドウド、ドドウ、
 ああまいざくろも吹《ふ》き飛ばせ、
 すっぱいざくろも吹き飛ばせ、
 ドッドド、ドドウド、ドドウド、ドドウ
 ドッドド、ドドウド、ドドウド、ドドウ。」
 先頃《せんころ》又三郎から聴《き》いたばかりのその歌を一郎は夢《ゆめ》の中で又《また》きいたのです。
 びっくりして跳《は》ね起きて見ましたら外ではほんとうにひどく風が吹いてうしろの林はまるで咆《ほ》えるよう、あけがた近くの青ぐろいうすあかりが障子や棚《たな》の上の提灯箱《ちょうちんばこ》や家中いっぱいでした。
 一郎はすばやく帯をしてそれから下駄《げた》をはいて土間に下り馬屋の前を通って潜《くぐ》りをあけましたら風がつめたい雨のつぶと一緒《いっしょ》にどうっと入って来ました。馬屋のうしろの方で何かの戸がばたっと倒《たお》れ馬はぶるるっと鼻を鳴らしました。
 一郎は風が胸の底まで滲《し》み込んだように思ってはあと強く息を吐《は》きました。そして外へかけ出しました。
 外はもうよほど明るく土はぬれて居《お》りました。家の前の栗《くり》の木の列は変に青く白く見えてそれがまるで風と雨とで今|洗濯《せんたく》をするとでも云うように烈《はげ》しくもまれていました。青い葉も二三枚飛び吹きちぎられた栗のいがは黒い地面にたくさん落ちて居りました。
 空では雲がけわしい銀いろに光りどんどんどんどん北の方へ吹きとばされていました。
 遠くの方の林はまるで海が荒れているようにごとんごとんと鳴ったりざあと聞えたりするのでした。一郎は顔や手につめたい雨の粒《つぶ》を投げつけられ風にきものも取って行かれそうになりながらだまってその音を聴きすましじっと空を見あげました。もう又三郎が行ってしまったのだろうかそれとも先頃《せんころ》約束《やくそく》したように誰かの目をさますうち少し待って居て呉れたのかと考えて一郎は大へんさびしく胸がさらさら波をたてるように思いました。けれども又じっとその鳴って吠《ほ》えてうなってかけて行く風をみていますと今度は胸がどかどかなってくるのでした。昨日まで丘や野原の空の底に澄《す》みきってしんとしていた風どもが今朝夜あけ方|俄《にわ》かに一斉《いっせい》に斯う動き出してどんどんどんどんタスカロラ海床《かいしょう》の北のはじをめがけて行くことを考えますともう一郎は顔がほてり息もはあ、はあ、なって自分までが一緒に空を翔《か》けて行くように胸を一杯にはり手をひろげて叫《さけ》びました。
「ドッドドドドウドドドウドドドウ、あまいざくろも吹きとばせ、すっぱいざくろも吹きとばせ、ドッドドドドウドドドウドドドウ、ドッドドドドウドドドードドドウ。」
 その声はまるできれぎれに風にひきさかれて持って行かれましたがそれと一緒にうしろの遠くの風の中から、斯ういう声がきれぎれに聞えたのです。
「ドッドドドドウドドドウドドドウ、
 楢《なら》の木の葉も引っちぎれ
 とちもくるみもふきおとせ
 ドッドドドドウドドドウドドドウ。」
 一郎は声の来た栗の木の方を見ました。俄かに頭の上で
「さよなら、一郎さん、」と云ったかと思うとその声はもう向うのひのきのかきねの方へ行っていました。一郎は高く叫びました。
「又三郎さん。さよなら。」
 かきねのずうっと向うで又三郎のガラスマントがぎらっと光りそれからあの赤い頬《ほお》とみだれた赤毛とがちらっと見えたと思うと、もうすうっと見えなくなってただ雲がどんどん飛ぶばかり一郎はせなか一杯風を受けながら手をそっちへのばして立っていたのです。
「ああ烈《ひ》で風だ。今度はすっかりやらへる。一郎。ぬれる、入れ。」いつか一郎のおじいさんが潜りの処でそらを見上げて立っていました。一郎は早く仕度をして学校へ行ってみんなに又三郎のさようならを伝えたいと思って少しもどかしく思いながらいそいで家の中へ入りました。