つれづれなるままに

つれづれなるままに お気に入りなどを

~風野又三郎~「九月九日」 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

   九月九日

「北極は面白いけれどもそんなに永くとまっている処《とこ》じゃない。うっかりはせまわってふらふらしているとこなどを、ヘルマン大佐になど見られようもんならさっそく、おいその赤毛、入れ、なんて来るからねえ、いくら面白いたって少し疲れさえなおったら出発をはじめるんだよ。帰りはもう自由だからみんなで手をつながなくてもいいんだ。気の合った友達と二人三人ずつ向うの隙《す》き次第|出掛《でか》けるだろう。僕の通って来たのはベーリング海峡《かいきょう》から太平洋を渡って北海道へかかったんだ。どうしてどうして途中のひどいこと前に高いとこをぐんぐんかけたどこじゃない、南の方から来てぶっつかるやつはあるし、ぶっつかったときは霧ができたり雨をちらしたり負ければあと戻りをしなけぁいけないし丁度力が同じだとしばらくとまったりこの前のサイクルホールになったりするし勝ったってよっぽど手間取るんだからそらぁ実際気がいらいらするんだよ。喧嘩《けんか》だってずいぶんするよ。けれども決して卑怯はしない。そら僕らが三人ぐらい北の方から少し西へ寄って南の方へ進んで行くだろう、向うから丁度反対にやって来るねえ、こっちが三人で向うが十人のこともある、向うが一人のこともある、けれども勝まけは人数じゃない力なんだよ、人数へ速さをかけたものなんだよ、
 君たちはどこまで行こうっての、こっちが遠くからきくねえ、アラスカだよ。向うが答えるだろう。冗談《じょうだん》じゃないや、アラスカなんか行くとこはありゃしない。僕たちがそっちから来たんじゃないか。いいや、行くように云われて来たんだ、さあ通してお呉《く》れ、いいや僕たちこそ大循環《だいじゅんかん》なんだ、よくマークを見てごらん、大循環と云われると大抵《たいてい》誰《たれ》でも一寸《ちょっと》顔いろを和《やわ》らげてマークをよく見るねえ、はじめから、ああ大循環だ通してやれなんて云うものもそれぁあるよ。けれども仲々大人なんかにはたちの悪いのもあるからね、なんだ、大循環だ、かっぱめ、ばかにしやがるな。どけ。なんてわざと空っぽな大きな声を出すものもあるんだ。いいえどかれません、じゃ法令の通りボックシングをやりましょうとなるだろう、勝つことも負けることもある、けれども僕は卑怯は嫌《きら》いだからねえ、もしすきをねらって遁《に》げたりするものがあってもそんなやつを追いかけやしない、あとでヘルマン大佐につかまるよってだけ云うんだ。しずかな日きまった速さで海面を南西へかけて行くときはほんとうにうれしいねえ、そんな日だって十日に三日はあるよ、そう云うふうにして丁度北極から一ヶ月目に僕は津軽海峡を通ったよ、あけがたでね、函館《はこだて》の砲台《ほうだい》のある山には低く雲がかかっている、僕はそれを少し押しながら進んだ、海すずめが何重もの環《わ》になって白い水にすれすれにめぐっている、かもめも居る、船も通る、えとろふ丸なんて云う荷物を一杯に積んだ大きな船もあれば白く塗《ぬ》られた連絡《れんらく》船もある。そうそう、そのとき僕は北海道の大学の伊藤さんにも会った。あの人も気象をやってるから僕は知っている。
 それから僕は少し南へまっすぐに朝鮮へかかったよ。あの途中のさびしかったことね、僕はたった一人になっていたもんだから、雲は大へんきれいだったし邪魔《じゃま》もあんまりなかったけれどもほんとうにさびしかったねえ、朝鮮から僕は又東の方へ西風に送られて行ったんだ。海の中ばかりあるいたよ。商船の甲板でシガアの紫の煙《けむり》をあげるチーフメートの耳の処で、もしもしお子さんはもう歩いておいでですよ、なんて云って行くんだ。船の上の人たちへの僕たちの挨拶は大抵|斯《こ》んな工合なんだよ、
 上の方を見るとあの冷たい氷の雲がしずかに流れている。そうだあすこを新らしい大循環の志願者たちが走って行く。いつ又僕は大循環へ入るだろう、ああもう二十日かそこらでこんどのは卒業するんだ、と考えるとほんとうに何とも云えずうれしい気がするねえ。」
「おらの方の試験ど同じだな。」耕一が云いました。
「うん、だけどおまえたちの試験よりはむずかしいよ。お前たちの試験のようなもんならただ毎日学校へさえ来ていれば遊んでいても卒業するだろう。」又三郎はきっと誰《たれ》か怒《おこ》るだろうと思って少し口をまげて笑いながら斯う云いました。
「おらの方だて毎日学校さ来るのひでじゃぃ。」耕一が大して怒ったでもなしに斯う云いました。
「ふん、そうかい、誰だって同じことだな。さあ僕は今日もいそがしい。もうさよなら。」
 又三郎のかたちはもうみんなの前にありませんでした。みんなはばらばら丘をおりました。