つれづれなるままに

つれづれなるままに お気に入りなどを

~風野又三郎~「九月五日」-2 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

 

「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華《ちゅうか》大気象台があるだろう。どっちだって偉《えら》い人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻《まわ》っていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載《の》るんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄《にわか》に急いだりすることは大へん卑怯《ひきょう》なことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白《おもしろ》かったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時|頃《ごろ》海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合《ぐあい》に気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
 博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主《けしぼうず》にしてね、着物だって袖《そで》の広い支那服だろう、沓《くつ》もはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯《こ》う言っていた。
『これはきっと颶風《ぐふう》ですね。ずぶんひどい風ですね。』
 すると支那人の博士が葉巻をくわえたままふんふん笑って
『家が飛ばないじゃないか。』
と云《い》うと子供の助手はまるで口を尖《とが》らせて、
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇《だん》を下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気《しょげ》ながら手を拱《こまね》いてあとから恭々しくついて行く。
 僕はそのとき二・五|米《メートル》というレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。