つれづれなるままに

つれづれなるままに お気に入りなどを

~風野又三郎~「九月五日」-3 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

 次の日も九時頃僕は海の霧《きり》の中で眼がさめてそれから霧がだんだん融《と》けて空が青くなりお日さまが黄金《きん》のばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎《かもめ》が白い蓮華《れんげ》の花のように波に浮《うか》んでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆《ほ》や白く塗《ぬ》られた蒸気船の舷《げん》を通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊《おど》るんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風《ぐふう》ですね。』
 支那人の博士はやっぱりわらって気がないように、
『瓦《かわら》も石も舞《ま》い上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝《えだ》が動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
 そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔《とう》のあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻《もど》って睡ったんだ。
 ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又《また》あの子供の助手が尤《もっとも》らしい顔つきで腕《うで》を拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処《ところ》なもんだからもうぶるぶる顫《ふる》えて手すりにとりついているんだ。雨も幾《いく》つぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』