つれづれなるままに

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~風野又三郎~「九月五日」-4 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

 ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語《ことば》をきれぎれに聴《き》きながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人《きょうじん》のようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海《シャンハイ》から八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲《つか》れたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜《ぬ》けて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従《つ》いて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀《わん》がまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽《かっぱ》を着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛《ふえ》のように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
 そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中《とちゅう》でだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時|緯度《いど》観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅《にゅうばい》だったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾《かわ》きましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手《ぎて》とがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠《や》せて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗《あせ》だらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外《そ》らしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈《はず》はないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
 又三郎はすっと見えなくなってしまいました。
 みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。