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~風野又三郎~「九月三日」-2 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

「汝《うな》ぃの叔父さんどごまで行く。」
「僕の叔父さんかい。叔父さんはね、今度ずうっと高いところをまっすぐに北へすすんでいるんだ。
 叔父さんのマントなんか、まるで冷えてしまっているよ。小さな小さな氷のかけらがさらさらぶっかかるんだもの、そのかけらはここから見えやしないよ」
「又三郎さんは去年なも今頃《いまごろ》ここへ来たか。」
「去年は今よりもう少し早かったろう。面白《おもしろ》かったねえ。九州からまるで一飛びに馳《か》けて馳けてまっすぐに東京へ来たろう。そしたら丁度僕は保久大将の家を通りかかったんだ。僕はね、あの人を前にも知っているんだよ。だから面白くて家の中をのぞきこんだんだ。障子が二枚はずれてね『すっかり嵐《あらし》になった』とつぶやきながら障子を立てたんだ。僕はそこから走って庭へでた。あすこにはざくろの木がたくさんあるねえ。若い大工がかなづちを腰《こし》にはさんで、尤《もっと》もらしい顔をして庭の塀《へい》や屋根を見廻《みまわ》っていたがね、本当はやっこさん、僕たちの馳けまわるのが大変面白かったようだよ。唇《くちびる》がぴくぴくして、いかにもうれしいのを、無理にまじめになって歩きまわっていたらしかったんだ。
 そして落ちたざくろを一つ拾って噛《かじ》ったろう、さあ僕はおかしくて笑ったね、そこで僕は、屋敷《やしき》の塀に沿って一寸戻ったんだ。それから俄《にわ》かに叫んで大工の頭の上をかけ抜《ぬ》けたねえ。
 ドッドド ドドウド ドドウド ドドウ、
 甘いざくろも吹き飛ばせ
 酸《す》っぱいざくろも吹き飛ばせ
 ホラね、ざくろの実がばたばた落ちた。大工はあわてたような変なかたちをしてるんだ。僕はもう笑って笑って走った。
 電信ばしらの針金を一本切ったぜ、それからその晩、夜どおし馳けてここまで来たんだ。
 ここを通ったのは丁度あけがただった。その時僕は、あの高洞山《たかぼらやま》のまっ黒な蛇紋岩《じゃもんがん》に、一つかみの雲を叩《たた》きつけて行ったんだ。そしてその日の晩方にはもう僕は海の上にいたんだ。海と云ったって見えはしない。もう僕はゆっくり歩いていたからね。霧《きり》が一杯にかかってその中で波がドンブラゴッコ、ドンブラゴッコ、と云ってるような気がするだけさ。今年だって二百二十日になったら僕は又馳けて行くんだ。面白いなあ。」
「ほう、いいなあ、又三郎さんだちはいいなあ。」
 小さな子供たちは一緒に云いました。