つれづれなるままに

つれづれなるままに お気に入りなどを

~風野又三郎~「九月二日」-3 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

「そうだ。おら去年烏瓜の燈火《あかし》拵《こさ》えた。そして縁側《えんがわ》へ吊《つる》して置いたら風吹いて落ちた。」と耕一が言いました。
 すると又三郎は噴《ふ》き出してしまいました。
「僕お前の烏瓜の燈籠を見たよ。あいつは奇麗《きれい》だったねい、だから僕がいきなり衝《つ》き当って落してやったんだ。」
「うわぁい。」
 耕一はただ一言云ってそれから何ともいえない変な顔をしました。
 又三郎はおかしくておかしくてまるで咽喉《のど》を波のようにして一生けん命空の方に向いて笑っていましたがやっとこらえて泪《なみだ》を拭《ふ》きながら申しました。
「僕失敬したよ。僕そのかわり今度いいものを持って来てあげるよ。お前※[#小書き平仮名ん、85-9]とこへね、きれいなはこやなぎの木を五本持って行ってあげるよ。いいだろう。」
 耕一はやっと怒るのをやめました。そこで又三郎は又お話をつづけました。
「ね、その谷の上を行く人たちはね、みんな白いきものを着て一番はじめの人はたいまつを待っていただろう。僕すぐもう行って見たくて行って見たくて仕方なかったんだ。けれどどうしてもまだ歩けないんだろう、そしたらね、そのうちに東が少し白くなって鳥がなき出したろう。ね、あすこにはやぶうぐいすや岩燕《いわつばめ》やいろいろ居るんだ。鳥がチッチクチッチクなき出したろう。もう僕は早く谷から飛び出したくて飛び出したくて仕方なかったんだよ。すると丁度いいことにはね、いつの間にか上の方が大へん空《あ》いてるんだ。さあ僕はひらっと飛びあがった。そしてピゥ、ただ一足でさっきの白いきものの人たちのとこまで行った。その人たちはね一列になってつつじやなんかの生えた石からをのぼっているだろう。そのたいまつはもうみじかくなって消えそうなんだ。僕がマントをフゥとやって通ったら火がぽっぽっと青くうごいてね、とうとう消えてしまったよ。ほんとうはもう消えてもよかったんだ。東が琥珀《こはく》のようになって大きなとかげの形の雲が沢山《たくさん》浮《うか》んでいた。
『あ、とうとう消《け》だ。』と誰《たれ》かが叫んでいた。おかしいのはねえ、列のまん中ごろに一人の少し年老《としと》った人が居たんだ。その人がね、年を老って大儀《たいぎ》なもんだから前をのぼって行く若い人のシャツのはじにね、一寸《ちょっと》とりついたんだよ。するとその若い人が怒ってね、
『引っ張るなったら、先刻《さっき》たがらいで処《とこ》さ来るづどいっつも引っ張らが。』と叫《さけ》んだ。みんなどっと笑ったね。僕も笑ったねえ。そして又一あしでもう頂上に来ていたんだ。それからあの昔《むかし》の火口のあとにはいって僕は二時間ねむった。ほんとうにねむったのさ。するとね、ガヤガヤ云うだろう、見るとさっきの人たちがやっと登って来たんだ。みんなで火口のふちの三十三の石ぼとけにね、バラリバラリとお米を投げつけてね、もうみんな早く頂上へ行こうと競争なんだ。向うの方ではまるで泣いたばかりのような群青《ぐんじょう》の山脈や杉《すぎ》ごけの丘のようなきれいな山にまっ白な雲が所々かかっているだろう。すぐ下にはお苗代《なわしろ》や御釜《おかま》火口湖がまっ蒼《さお》に光って白樺《しらかば》の林の中に見えるんだ。面白かったねい。みんなぐんぐんぐんぐん走っているんだ。すると頂上までの処にも一つ坂があるだろう。あすこをのぼるとき又さっきの年老《としよ》りがね、前の若い人のシャツを引っぱったんだ。怒っていたねえ。それでも頂上に着いてしまうとそのとし老《よ》りがガラスの瓶《びん》を出してちいさなちいさなコップについでそれをそのぷんぷん怒っている若い人に持って行って笑って拝むまねをして出したんだよ。すると若い人もね、急に笑い出してしまってコップを押《お》し戻《もど》していたよ。そしておしまいとうとうのんだろうかねえ。僕はもう丁度こっちへ来ないといけなかったもんだからホウと一つ叫んで岩手山の頂上からはなれてしまったんだ。どうだ面白いだろう。」
「面白いな。ホウ。」と耕一が答えました。
「又三郎さん。お前《まい》はまだここらに居るのか。」一郎がたずねました。
 又三郎はじっと空を見ていましたが
「そうだねえ。もう五六日は居るだろう。歩いたってあんまり遠くへは行かないだろう。それでももう九日たつと二百二十日だからね。その日は、事によると僕はタスカロラ海床《かいしょう》のすっかり北のはじまで行っちまうかも知れないぜ。今日もこれから一寸向うまで行くんだ。僕たちお友達になろうかねえ。」
「はじめから友だちだ。」一郎が少し顔を赤くしながら云いました。
「あした僕は又どっかであうよ。学校から帰る時もし僕がここに居たようならすぐおいで。ね。みんなも連れて来ていいんだよ。僕はいくらでもいいこと知ってんだよ。えらいだろう。あ、もう行くんだ。さよなら。」
 又三郎は立ちあがってマントをひろげたと思うとフィウと音がしてもう形が見えませんでした。
 一郎と耕一とは、あした又あうのを楽しみに、丘を下っておうちに帰りました。