つれづれなるままに

つれづれなるままに お気に入りなどを

~風野又三郎~「九月八日」-3 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

けれどものぼって行くたってそれはそれはそおっとのぼって行くんだよ。椰子の樹の葉にもさわらず魚の夢もさまさないようにまるでまるでそおっとのぼって行くんだ。はじめはそれでも割合早いけれどもだんだんのぼって行って海がまるで青い板のように見え、その中の白いなみがしらもまるで玩具《おもちゃ》のように小さくちらちらするようになり、さっきの島などはまるで一|粒《つぶ》の緑柱石《りょくちゅうせき》のように見えて来るころは、僕たちはもう上の方のずうっと冷たい所に居てふうと大きく息をつく、ガラスのマントがぱっと曇ったり又さっと消えたり何べんも何べんもするんだよ。けれどもとうとうすっかり冷くなって僕たちはがたがたふるえちまうんだ。そうすると僕たちの仲間はみんな集って手をつなぐ。そしてまだまだ騰《のぼ》って行くねえ、そのうちとうとうもう騰れない処まで来ちまうんだよ。その辺の寒さなら北極とくらべたってそんなに違《ちが》やしない。その時僕たちはどうしても北の方に行かなきゃいけないようになるんだ。うしろの方では
『ああ今度はいよいよ、かけるんだな。南極はここから八千七百ベェスターだねえ、ずいぶん遠いねえ』なんて云っている、僕たちもふり向いて、ああそうですね、もうお別れです、僕たちはこれから北極へ行くんです、ほんの一寸《ちょっと》の間でしたね、ご一緒《いっしょ》したのも、じゃさよならって云うんだよ。もうそう云ってしまうかしまわないうち僕たち北極行きの方はどんどんどんどん走り出しているんだ。咽喉《のど》もかわき息もつかずまるで矢のようにどんどんどんどんかける。それでも少しも疲《つか》れぁしない、ただ北極へ北極へとみんな一生けん命なんだ。下の方はまっ白な雲になっていることもあれば海か陸かただ蒼黝《あおぐろ》く見えることもある、昼はお日さまの下を夜はお星さまたちの下をどんどんどんどんかけて行くんだ。ほんとうにもう休みなしでかけるんだ。
 ところがだんだん進んで行くうちに僕たちは何だかお互《たがい》の間が狭《せま》くなったような気がして前はひとりで広い場所をとって手だけつなぎ合ってかけて居たのが今度は何だかとなりの人のマントとぶっつかったり、手だって前のようにのばして居られなくなって縮まるんだろう。それがひどく疲れるんだよ。もう疲れて疲れて手をはなしそうになるんだ。それでもみんな早く北極へ行こうと思うから仲々手をはなさない、それでもとうとうたまらなくなって一人二人ずつ手をはなすんだ。そして
『もう僕だめだ。おりるよ。さよなら。』