つれづれなるままに

つれづれなるままに お気に入りなどを

~風野又三郎~「九月七日」-3 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔《むかし》はその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔《やわ》らかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬《かた》くさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯《いたずら》じゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶《ひろ》い樹なら丈夫《じょうぶ》だよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐《き》るときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯《か》れるやつも枯れないやつもあるよ。苹果《りんご》や梨《なし》やまるめろや胡瓜《きゅうり》はだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷《はっか》やだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
 又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌《きげん》を直して云いました。
「又三郎、おれぁあんまり怒《ごしゃ》で悪がた。許せな。」
 すると又三郎はすっかり悦《よろこ》びました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山《たくさん》するんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊《やなぎ》の花でも草棉《くさわた》の毛でも運んで行くだろう。稲の花粉《かふん》だってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁《にご》った寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気《しっけ》もいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又《また》来ておくれ。ね。じゃ、さよなら。」
 又三郎はもう見えなくなっていました。一郎と耕一も「さよなら」と云いながら丘を下りて学校の誰《たれ》もいない運動場で鉄棒にとりついたりいろいろ遊んでひるころうちへ帰りました。