つれづれなるままに

つれづれなるままに お気に入りなどを

~風野又三郎~「九月一日」-2 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

「誰《たれ》だ、時間にならなぃに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して云いました。
「先生にうんと叱《しか》らえるぞ。」窓の下の耕助が云いました。
「叱らえでもおら知らなぃよ。」嘉助が云いました。
「早ぐ出はって来、出はって来。」一郎が云いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室《へや》の中やみんなの方を見るばかりでやっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛《こしかけ》に座っていました。
 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこな鼠《ねずみ》いろのマントを着て水晶《すいしょう》かガラスか、とにかくきれいなすきとおった沓《くつ》をはいていました。それに顔と云ったら、まるで熟した苹果《りんご》のよう殊《こと》に眼はまん円でまっくろなのでした。一向|語《ことば》が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「外国人だな。」「学校さ入るのだな。」みんなはがやがやがやがや云いました。ところが五年生の嘉助がいきなり
「ああ、三年生さ入るのだ。」と叫びましたので
「ああ、そうだ。」と小さいこどもらは思いましたが一郎はだまってくびをまげました。
 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけきちんと腰掛けています。ところがおかしいことは、先生がいつものキラキラ光る呼子|笛《ぶえ》を持っていきなり出入口から出て来られたのです。そしてわらって
「みなさんお早う。どなたも元気ですね。」と云いながら笛を口にあててピル※[#小書き片仮名ル、1-6-92]と吹《ふ》きました。そこでみんなはきちんと運動場に整列しました。
「気を付けっ」
 みんな気を付けをしました。けれども誰の眼もみんな教室の中の変な子に向いていました。先生も何があるのかと思ったらしく、ちょっとうしろを振《ふ》り向いて見ましたが、なあになんでもないという風でまたこっちを向いて
「右ぃおいっ」と号令をかけました。ところがおかしな子どもはやっぱりちゃんとこしかけたままきろきろこっちを見ています。みんなはそれから番号をかけて右向けをして順に入口からはいりましたが、その間中も変な子供は少し額に皺《しわ》を寄せて〔以下原稿数枚なし〕

と一郎が一番うしろからあまりさわぐものを一人ずつ叱りました。みんなはしんとなりました。
「みなさん休みは面白《おもしろ》かったね。朝から水泳ぎもできたし林の中で鷹《たか》にも負けないくらい高く叫んだりまた兄さんの草刈《くさか》りについて行ったりした。それはほんとうにいいことです。けれどももう休みは終りました。これからは秋です。むかしから秋は一番勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんも今日から又《また》しっかり勉強しましょう。みなさんは休み中でいちばん面白かったことは何ですか。」
「先生。」と四年生の悦治が手をあげました。
「はい。」
「先生さっきたの人あ何だったべす。」
 先生はしばらくおかしな顔をして
「さっきの人……」
「さっきたの髪の赤いわらすだんす。」みんなもどっと叫びました。
「先生髪のまっ赤なおかしなやづだったんす。」
「マント着てたで。」
「笛鳴らなぃに教室さはいってたぞ。」
 先生は困って
「一人ずつ云うのです。髪の赤い人がここに居たのですか。」
「そうです、先生。」〔以下原稿数枚なし〕

 

の山にのぼってよくそこらを見ておいでなさい。それからあしたは道具をもってくるのです。それではここまで。」と先生は云いました。みんなもうあの山の上ばかり見ていたのです。
「気を付けっ。」一郎が叫びました。「礼っ。」みんなおじぎをするや否《いな》やまるで風のように教室を出ました。それからがやがやその草山へ走ったのです。女の子たちもこっそりついて行きました。けれどもみんなは山にのぼるとがっかりしてしまいました。みんながやっとその栗《くり》の木の下まで行ったときはその変な子はもう見えませんでした。そこには十本ばかりのたけにぐさが先生の云ったとおり風にひるがえっているだけだったのです。けれども小さい方のこどもらはもうあんまりその変な子のことばかり考えていたもんですからもうそろそろ厭《あ》きていました。
 そしてみんなはわかれてうちへ帰りましたが一郎や嘉助は仲々それを忘れてしまうことはできませんでした。