つれづれなるままに

つれづれなるままに お気に入りなどを

~風野又三郎~「九月八日」-5 お気に入りの作品とともに(著作権切れ)

『あすこはグリーンランドだよ。』僕たちは話し合うんだ。いままでどこをとんでいたのかもう今度で三度目だなんていう少し大きい方の人などが大威張《おおいばり》でやって来ていろいろその辺のことなど云うんだ。
『そら、あすこのとこがゲーキイ湾だよ。知ってるだろう。英国のサア、アーキバルド、ゲーキーの名をつけた湾なんだ。ごらんそら、氷河ね、氷河が海にはいるねえ、あれで少しずつ押《お》されてだんだん喰《は》み出してるんだよ、そしてとうとう氷河から断《き》れて氷山にならあね。あっちは? あっちが英国さ、ここはもう地球の頂上だからどっちへ行くたって近いやね、少し間違えば途方もない方へ降りちまうよ。あっち? あっちが英国さ。』なんてほんとうに威張ってるんだ。僕たちはもう殆《ほと》んど東の方へ東の方へと北極を一まわりするようになるんだ。この時だよ、僕らのこわいのは。大循環でいちばんこわいのはこの時なんだよ、この僕たちのまわるもっと中の方に極渦《きょくうず》といって大きな環《わ》があるんだ。その環にはいったらもう仲々出られない。卑怯《ひきょう》なものはそれでもみんな入っちまうよ。環のまん中に名高い、ヘルマン大佐がいるんだ。人間じゃないよ。僕たちの方のだよ。ヘルマン大佐はまっすぐに立って腕《うで》を組んでじろじろあたりをめぐっているものを見ているねえ、そして僕たちの眼の色で卑怯だったものをすぐ見わけるんだ。そして
『こら、その赤毛、入れ。』と斯《こ》う云うんだ。そう云われたらもうおしまいだ極渦の中へはいってぐるぐるぐるぐるまわる、仲々出ていいとは云わないんだ。だから僕たちそのときは本当に緊張《きんちょう》するよ。けれどもなんにも卑怯をしないものは割合平気だねえ、大循環の途中でわざとつかれた隣《とな》りの人の手をはなしたものだの早くみんなやめるといいと考えてきろきろみんなの足なみを見たりしたものはどれもすっかり入れられちまうんだ。
 そのうちだんだん僕らはめぐるだろう。そして下の方におりるんだ。おしまいはまるで海とすれすれになる。そのときあちこちの氷山に、大循環|到着者《とうちゃくしゃ》はこの附近《ふきん》に於《おい》て数日間休養すべし、帰路は各人の任意なるも障碍《しょうがい》は来路に倍するを以《もっ》て充分《じゅうぶん》の覚悟《かくご》を要す。海洋は摩擦《まさつ》少きも却《かえ》って速度は大ならず。最も愚鈍《ぐどん》なるもの最も賢《かしこ》きものなり、という白い杭《くい》が立っている。これより赤道に至る八千六百ベスターというような標もあちこちにある。だから僕たちはその辺でまあ五六日はやすむねえ、そしてまったくあの辺は面白いんだよ。白熊《しろくま》は居るしね、テッデーベーヤさ。あいつはふざけたやつだねえ、氷のはじに立ってとぼけた顔をしてじっと海の水を見ているかと思うと俄かに前肢《まえあし》で頭をかかえるようにしてね、ざぶんと水の中へ飛び込むんだ。するとからだ中の毛がみんなまるで銀の針のように見えるよ。あっぷあっぷ溺《おぼ》れるまねをしたりなんかもするねえ、そんなことをしてふざけながらちゃんと魚をつかまえるんだからえらいや、魚をつかまえてこんどは大威張りで又氷にあがるんだ。魚というものは本当にばかなもんだ、ふざけてさえ居れば大丈夫《だいじょうぶ》こわくないと思ってるんだ。白熊はなかなか賢いよ。それからその次に面白いのは北極光《オーロラ》だよ。ぱちぱち鳴るんだ、ほんとうに鳴るんだよ。紫《むらさき》だの緑だのずいぶん奇麗な見世物だよ、僕らはその下で手をつなぎ合ってぐるぐるまわったり歌ったりする。
 そのうちとうとう又帰るようになるんだ。今度は海の上を渡《わた》って来る。あ、もう演習の時間だ。あした又話すからね。じゃさよなら。」又三郎は一ぺんに見えなくなってしまいました。みんなも丘をおりたのです。